2001いびがわマラソン

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スタート前の目標は、4時間に置いた。このところの練習量からすれば、それ程、無理はないはず(だった)。
15キロぐらいまでは、何の問題もなかった。オーバーペースになるのを自重していたくらい。ところが、徐々に太腿の裏に違和感を感じるようになる。 20キロ手前では、完全に痛み出し大幅にスローダウン。
思い当たるのは、一月ほど前に始めた、この部位のウェイトトレーニング。今週は、木曜にやったっけ。
10月の40キロ練習の前日にもやって、足の痛みから途中でかなり歩くことになった。それで、今回は中2日あけたんだけど、結局、疲労を持ち越してしまったみたいだ。
トレーニング中も痛みを感じるのだけど、パワーアップしてる証拠と思い込んでいた。どうも、やり方を間違ったようだ。 もうこのトレーニングは、やるまいと思ったが、今はそれどころじゃない。昨年の制限時間オーバーが頭をよぎる。いや、帰り着けるかどうかも危ない。
中間点を過ぎたところで、目標を最終関門の制限時間クリアに変更した。そのためには、この痛んだ足で無理に走るべきじゃない。 本当は、どんなに遅くても歩くのは嫌だ。たとえ歩くのと変わらないスピードであっても、ランナーとしては、意識して歩くのは屈辱に値する。そう思って、ずっとやってきた。
でも、2年連続で制限時間オーバーは、何としてでも避けたい。それにゴールまで帰りたい。このまま歩かずに足を上げていたら、間違いなく止まってしまうだろう。
そこで、「計画的」に歩くことに決めた。ずっと歩いていては、間に合わない。足の痛みが限界に近づいたら歩く。25キロ地点で2時間40分。1キロを10分かからないように、走り、歩く。 そうすれば関門はクリアできるはず。
思ったより長く走ることができたため、関門は20分余して通過。ここからは、5時間の制限をめざして、やはり、走る、歩く。 次の交差点まで、次の道路標識までと、痛む足を引き摺りながら、やっとのことでゴールにたどり着いた時には、制限時間の10分前。
なんとか帰って来れたゼ。意識して歩いたのは、初マラソンのホノルルとマラソン2回目の掛川以来。歩いた距離は、今までで一番になる。

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